「俺たちのHARD THINGS」 ICCカンファレンス CONNECTION 2016のメモ
日吉で開催されると聞き、家から近いということもあり折角なので参加してみました。
たまに買い物するときの駐車場として使っていたけど、2階にあんな綺麗で立派なホールがあるなんて知らなかった。
途中で家に戻ったりしながら、好きなセッションをみるという贅沢なことができて満足。
セッション一発目から、眠気がふっ飛ぶ面白い内容。
成功した話しよりも、失敗から学べることが多いと思っているので参考になりました。
正式な記事や動画はICCのホームページにアップされるはずなので、そちらをみてください。
INDUSTRY CO-CREATION – Official Site of ICC
以下はメモ。
Session 1 「俺たちのHARD THINGS」
吉田 浩一郎 株式会社クラウドワークス
ドリコム執行役員だったが、上場後に役員を解任される。
その後2007年にかけて下方修正、リストラ、新卒内定取り消しを通達する。
ドリコム時代に全員で上場を目指したのはいいが、上場達成したら燃え尽きてしまった。上場後にどうするかは考えておいたほうが良い。
会社が傾いて、当時は売上予測を過剰に見積もっていたので、乖離が大きくて大変だった。
会社内の雰囲気が最悪になり、業績悪化、新卒の内定取り消しをせざるを得なかった。
電話が鳴りまくっても、とることができないぐらい辛い日々だった。新卒内定者の人生を狂わせてしまったというのと、役員同士で信頼できない関係になった。
ただし、ドリコム役員解任になっても学べることは多く、1回めの起業含めて、事前に設計することの大事さを感じる。クラウドワークスを作る際は200個ぐらいKPI設計して上場までそれを実践した。
ドリコム役員を解任された原因は、簿記会計がわかってなかったからだと思って簿記を勉強した結果、自分にはあわないということがあらためてわかった(笑)
ドリコムはブログで上場目指したのは、凄いチャレンジすぎた(笑)
ただし、ブログシステム7千万円もの値付けで売れた時もありすごかった。
ドリコム役員を解任された後、自分が社長でやってたら、もっと上手くなったんじゃないかと思って企業したが、プログラムできないのでプロダクトが作れない。
ならば営業しかないということで、日本のアパレルを、ベトナムで売るということを3年ぐらいやっていた。ただし、現地で10着のうち2着ぐらいしか定価で売れない。自分の部屋が在庫でいっぱいになった(笑)
日本は日本担当役員に任せていて、ベトナムの方をメインで動いていたら、日本を見てくれている役員が取引先に「社長は日本を放っておいてベトナムしかみてない」と言っていた。日本担当役員の言うことしか取引先にも通じなくなっていて、結局は終了した。
会社を閉じた時は、36才で預金通帳3000万を眺めて、俺に残ったのはこの程度の金だけだと思った。
Q. 社員が辞めることに関して?
A. クラウドワークス上場までに社員3人に辞められたが、辞めた人の理由は真摯に受け止めることを心がけている。
Q. 現金が1番足りなくなった時は?
A. 会社の為に営業するのは得意で、ドリコムに入ったきっかけもデキる営業と名刺に書いていたから。
どんな事業でも現金は常にあった。
ドリコム以降も、手元資金で事業を回せるというのがその後の投資家から評価もされた。
高橋 飛翔 ナイル株式会社
学生起業で、全財産を投じたオンライン予備校サイトが失敗。売上は累計2万円。
銀行からお金を借りられるだけ借りて、1千数百万を勝負したがサービス終了した。
失敗経験からSEOの重要さに気づいて、それが後の主要ビジネスだと思った。
2009年 24人採用するも21人が退職(翌年春までに当時の取締役は全員離脱)ダウンサイズリスクを指摘してくれる人がいなかった。
会社の状態がめちゃくちゃで、呼びだされて辞めますと言われるのが辛く、会社に行きたくなかった。
営業を増やしたら売れたが、ブログ商材の品質部分でクライアントからクレームが来た。クレームから解約されている商品でも営業には売れと言い続けるしかなくて、辛かった。辞めた役員の1人からは、あなたが悪魔に見えるといわれショックだった。
2009年に銀行残高300万(プラス借金多数)になった。
2011年Googleアルゴリズム変更で大打撃、事業閉鎖の危機に追い込まれる。Googleがアルゴリズム変更しようが、対応できるようにしているので今は大丈夫。
田中 弦 Fringe81株式会社
IE7がRSSリーダーに完全対応するのでチャンスと思ったら開発に3年かかって市場ができなかった(マーケットの読みをいきなり外す)。その後RSS広告社を作った。
資金は3億集めて、最初の月の売上が2万円。50億から100億の市場予測だったのに、1億も行かなかった。
実はまだサービスは存在していてて、派遣1人で回していて利益率高い。日本のRSS全てを網羅した。
ここ3年間で新卒は辞めてない。辞めますと言われるのが嫌い。
会社が好きじゃないなら引き止めはしない。
2009年 銀行残高が20万円になって同日資金調達した。自転車操業。広告は粗利が低いので出入りが激しい。ぎりぎり9千万の振り込みがあって90,200,000になった。
RSS広告、アドテク、広告以外にも全く別の分野でチャレンジ中。1/3が研究開発をしている変わった会社。
2013年 資金調達前に資金をぶっこんだ事業にgoogleとyahooが無料で進出。(タグマネージャ機能?)一瞬思考停止してしまったが、プレミアム機能としてまだこの事業は続いている。
Session 5 「グローバル企業のプロフェッショナル経営者の仕事とは何か?」
(スピーカー)
赤池 敦史 シーヴィーシー・アジア・パシフィック・ジャパン株式会社 代表取締役社長 パートナー
留目 真伸 レノボ・ジャパン株式会社 代表取締役社長/NECパーソナルコンピュータ株式会社 代表取締役 執行役員社長
山田 善久 楽天株式会社 副社長執行役員
(モデレーター)
琴坂 将広 慶應義塾大学 准教授
オフレコ話が多いので、軽くメモ。
日本だと、グローバルに挑戦するときの事前準備というものが大げさ過ぎる。その辺はアメリカ人が1番やり方上手くて、1人でもふらっと海外現地へ出向いて、現地の情報を収集して判断することを本当に気軽におこなっている。
日本は真面目だから、一昔前の植民地で他国を攻めるぞぐらいの準備と意気込みが強すぎてしまう。そうではなく、もっと気軽に現地に行って情報収集したらいい。